万里长城日语作文
【篇一:万里长城日语介绍】
  长城介绍
宇宙からでも見える世界最大の建造物として有名な万里の長城は、東は渤海湾に臨む山海関から、西は甘粛省の嘉峪関まで全長約6350km。中国の距離の単位「里」(1里=0.5km)にすると、1万里を超えるので、 万里の長城と呼ばれているのである。
春秋時代の斉(せい)が領土防衛のため国境に築いたのが長城の起源で、戦国時代の諸国もこれに倣った。秦(しん)の始皇帝は中国統一(前221)後、匈奴(きょうど)の侵入を防ぐため、甘粛(かんしゅく/カンスー)省南部から北へ、黄河(こうが/ホワンホー)大屈曲部の北を巡って東に延び、東北地区の遼河(りょうが/リヤオホー)下流に至る長城を築いたが、なかば以上、戦国時代の燕(えん)、趙(ちょう)などの長城を利用したものであった。この長城の東部の遺址(いし)が東北地区で発見されている。
前漢の武帝(在位前141~前87)のころ、河西(かせい/ホーシー)回廊を匈奴から守るた
め、長城を蘭州(らんしゅう/ランチョウ)北方から西に、敦煌(とんこう/トゥンホワン)の西の玉門関まで延長した。南北朝時代には北方民族の活動で長城の位置は南下し、6世紀中ごろ、北斉(ほくせい)は大同の北西から居庸関(きょようかん)を経て山海関に至る長城を築き、隋(ずい)は突厥(とっけつ)、契丹(きったん)に備えてオルドス南辺に長城を築いた。長城が現在の規模になったのは明(みん)代で、モンゴルの侵入を防ぐためであった。ほぼ北斉以来の線に沿ったもので、15世紀の前半には河北(かほく/ホワペイ)、山西(さんせい/シャンシー)の北部の長城が強化され、内長
城もつくられてこの付近の長城は二重となり、後半にはオルドス南部から蘭州を経て嘉峪関(かよくかん)までの長城が修築され、16世紀中ごろには大同北西から山海関までが堅固に改修された。
北京市内に残っている長城では、八達嶺、慕田峪、司馬台が最も有名である。1987年12月世界文化遺産に登録された。
長城の構造は、古くは版築で、楊柳(ようりゅう)(ヤナギ)やアシなどを束ねて土と交互に重ね、突き固めてある。日干しれんがも一部に用いられていたが、山西方面より東方
は明代以後、焼いたれんがで被覆されるようになった。首都北京(ペキン)防衛のためもあるが、モンゴルの侵攻がこの方面で激しかったことを示している。現在観光の対象となっている八達嶺(はったつれい/パーターリン)付近の長城は、高さ8.5メートル、厚さは底部6.5メートル、頂部5.7メートル。頂部上には高さ1.7メートルの連続した凸字状の垣である女牆(じょしょう)を築き、銃眼が開く。また120メートル間隔で台(とんだい)(一種の見張り所)が設けられ、軍の駐留と監視に役だてた。
長城が交通路と交差する要地には堅固な城壁で囲んだ関城が設けられていた。山海関、古北口、張家口、雁門関(がんもんかん)、殺虎口(さっここう)、嘉峪関などがそれである。清(しん)代に入ると長城は軍事的意味を失い、中国本部とモンゴルとの間の政治的境界にすぎなくなった。なお歴史的事実のうえからみると、外敵防御という長城構築の目的はほとんど達成されておらず、単に威圧感を与えた程度といってよかった。
八達嶺長城
関所の城楼は明の弘治十八年(1505年)に建造され、城楼の東西両側に門が一つずつあり、額として東の門の上に「居庸外鎮」の四文字が彫ってあり西の門の上に「北門鎖鑰」
の四文字が彫ってある。八達嶺長城はとても壮観で城壁の高さが平均7.8メートル、その土台が重さ500余キロの大きな花崗岩で築かれている。城壁の上では馬なら5、人なら十人が並んで進むことができる。城壁の外側に口があり、パトロールする時、そこから遠見する。射撃孔から矢を射ることができる。ほぼ800メートルおきに宿泊、兵器保存、見張りに使う敵楼、墻台が設けてある。このほか、長城博物館、円形スクリーン映画館もある。
夏には、ライトアップされ、夜景も楽しめるようになった。
慕田峪長城
北京市内から約70km離れた懐柔県慕田峪にあるこの長城は、緑に包まれた起伏の激しさが特徴となっている。
入口から約1000段の階段があるが、八達嶺に比べると規模は小さく、観光客もさほど多くないので、ゆっくり登ることができる。長さ約600mのロープウェイも利用できる。
司馬台長城
北京市の北東約120km、密雲県の古北口に位置する明代の姿のまま残されて
いる長城。水の綺麗な鴛鴦湖によって東と西に分けられた長城は、橋でつながれている。長城の最高点にあるの望京楼は標高が986mもあり、遠くまで見渡すことができ、景もすばらしい。
また、行く途中で目に入る農村の風景も、北京市内では見られない貴重な光景と言えるだろう。去长城
【篇二:描写万里长城的作文】
描写万里长城的作文
  描写万里长城的作文(一)
  暑假里的一天,爸爸妈妈带我一起去游览了北京八达岭长城。
  当载满游人的大巴,缓慢地驶进山之中,我从窗口向外望去,绿油油的山坡似乎伸手可及,但车子一拐弯,它又离我远去。
  很快车子抵达长城脚下,我们下车买票进去。那天天气不太晴朗,雾蒙蒙的,山连绵不
断,被郁郁葱葱的绿树覆盖着,好像一片绿的海洋,似乎又像瑶台仙境。我迫不及待地向前跑去,大喊着:“长城太美了!”
  长城城墙1米多高,是用青灰的砖砌成的,脚下则是巨大的青石台阶,我们拾级而上,一口气爬了老远,抬头一看,远处的长城随着山势忽高忽低,蜿蜒起伏,还真像翻江倒海的一条巨龙。密密麻麻的人在巨龙身上,像一个个的彩豆一样蠕动着。
妈妈告诉我,长城秦朝就开始修建了,主体部分是明朝时修建的,西起甘肃嘉峪关,东至辽宁的鸭绿江边,长达万里,是我国古代保护北方的一道重要屏障。
说着话儿我们来到了一座方形的城台前,妈妈又告诉我这就是烽火台。我问:“这就是烽火戏诸侯的地方吗?”妈妈笑着说:“是。”想着也许这儿就是当年周幽王逗妃子一笑的地方,我兴奋地跑进去,却感觉一股寒气逼人,打了个哆嗦。在夏天,这里为什么还这么凉爽呢?仔细一看,原来是因为烽火台四周都是半圆形的通风口和小型的射口,风能够畅通无阻。
  出了烽火台,天越来越阴沉了,一座座山峰浸在乳白的薄雾中,淡淡的透着青,显得更加迷人了。
  我们一路说说笑笑地爬着山,赏着景,虽然因为时间所限以及我的体力不支,我们最后没能爬上好汉坡,但我想我以后还要来爬长城,一定能爬上好汉坡!
描写万里长城的作文(二)
  我们的祖国像一个大花园,它照耀着我们快快乐乐的生活。我们的祖国也有许许多多美丽的名胜古迹,比如:好似一条长龙盘绕在大地上的长城、华丽的故宫、美丽的清明上河园。其中,我最想去的就是长城。
  长城在北京,它是春秋战国时期修建的。长城十分长,远远望去,它就像一条巨龙盘绕在山之中。长城有六千三百千米,它可是我国伟大工程之一,也是世界奇迹之一;这是不是非常雄伟呀!我真为这么伟大的祖国而自豪呀!
我想大家一定都听过孟姜女哭长城的故事吧,喜良和孟姜女是多么可怜呀!
我们的祖国是多么伟大,有这么多名胜古迹呀!同学们,你们有空的话,多去长城看一看传说中的长城吧!
  描写万里长城的作文(三)
  中国的万里长城是世界修建时间最长,工程量最大的工程,是中华民族的象征和骄傲。
  来到长城脚下,远远望去,
山一座连着一座,连绵起伏,一片苍翠,如同一条绿的海。一座座山峦,好似海洋中的浪花,一浪接着一浪,长城像巨龙穿行在大地,保卫着祖国。在阳光的照耀下闪闪发光,像给长城镶上了一道金边。
  登上长城,极目远眺,它像一条长龙,在崇山峻岭之间蜿蜒盘旋。长城高大坚固,是用巨大的条石和城砖筑成的,城墙顶上铺着方砖十分平整,像很宽的马路,五六匹马可以并行。城墙外沿有两米高的垛子,垛子上方有方形的燎望口和射口,供燎望击用。
  长城东起山海关,西到嘉峪关,有一万三千多里长。每隔一段距离,山峰上都有一座高大坚固的烽火台,此时此刻,我仿佛看到狼烟和听到‘冲啊!’‘杀啊!’的呐喊声。站在长城上,踏着脚下的方砖,扶着墙上的条石,很自然想起古代修筑长城的劳动人民。单看这数不清的条石,一块有两三千斤重,那时没有火车,汽车,起重机,就靠着无数的肩膀无数的手,一步一步抬上这陡峭的山岭。多少劳动人民的血汗和智慧,才凝结成这前不见头,后不见尾的万里长城。
  雄伟的万里长城是中国古代人民创造的世界奇迹之一,也是人类文明史上的一座丰碑。
【篇三:小学作文:我登上了万里长城】
我登上了万里长城
有一句诗句:不到长城非好汉。今天,我终于可以当一回“好汉”,登上万里长城了,我的心情显得格外激动。
来到万里长城“脚下”一阵阵微风向我们吹来,不时传来鸟儿动听的歌声。四面八方都是人山人海,许多外国人也来这里参观,真是热闹非凡!
刚开始登上万里长城,路比较宽,人比较多。我发现长城的梯级很高,长城附近的山坡上长满了盛开的花朵和树苗,还有许许多多的鸟儿在翩翩起舞。继续往前走,我们越走越高了,路也越走越窄人也越来越少了,但是风景却越来越美了。极目远眺,一座又一座的青山蜿蜒起伏,连绵不断。仿佛一条卧龙躺在山上休息。听导游说,中国的万里长城是在月球上往地球看,唯一能看到的建筑物,因为它横跨几省,跨度非常大。长城是中国的象征它是在秦始皇在生时建的,当时秦始皇为了建好长城,强拉壮丁,那时候有许多人为了建长城,牺牲了
生命。所以自古就有“孟姜女哭长城”的故事。听说这个故事是因为一个有名叫孟姜女的女人,她的丈夫被强拉去修建长城,为了去丈夫,孟姜女不惜爬山涉水来到长城下,最后她知道丈夫已经死了,在长城上哭了七天七夜,最后成了一块化石。
我一边走一边想:现在我们爬上长城已经觉得这么辛苦了,真不知道古代的劳动人民是怎样在山上修建出一座这么宏伟的建筑。也许他们是凭着坚持的信念,一直坚持到最后的吧!只要坚持,就能建好长城;只要坚持,就能克服所有困难;只要坚持,就能看到希望。古
代劳动人民们就是这样的坚强,就是这样的努力,最终把我们举世无双的万里长城修建好的。
晚上,万里长城上照着五彩缤纷的灯光,显得格外美丽,它就像一条五颜六的丝带。啊!万里长城是我们中国的象征,他是我们中国古代老代劳动人民的心血结晶,所以我们要好好爱护长城,让这个宏伟的建筑可以永远留在中国,留在人们心中!